まず読んでほしい記事

泣き虫・ビビり・ドケチだった幼稚園児が変わった話

 

こんにちは、みずかです!

今回は私のプロフィール文のページに飛んでいただきありがとうございます^^

私は大学を卒業してすぐフリーランスになりました。

基本的な仕事はネットを通じて完結するものがほとんどで、

 

毎朝早く起きて、満員電車に揺られて、会社で一生懸命働いて、

夜は長時間かけて家に帰る…と言った生活とは全くかけ離れた生活をしております。

 

まず、仕事のほとんどはパソコン一台あればできてしまうので、家から出る必要がありません。

 

1日中家にいることもできるし、午後は気まぐれに散歩をしたり、お気に入りのカフェで仕事したり、経営者の先輩と夜に食事に行くことも。

 

毎日のスケジュールも、基本的に自分の都合で決められます。

会社から土日出勤を命じられたり、突然の出張に振り回されることもありません。

 

朝は自分が起きたいときに起きて、気まぐれに場所を決めて仕事して、会いたい人に会って、自分がやりたい仕事をする。

もちろん大変なこともあるけど、私は今の仕事が大好きです。

 

ここで簡単に私の紹介を箇条書きでしていきます。

・フリーランス2年目
・大学時、副業で初月5万円の売上を達成する
好きな時間に起きて、好きな時間に寝る生活
・付き合う人は皆尊敬できて、人付き合いに不満のない日々
・自分の「やりたいこと」を主軸に仕事を展開していく
1年目で月収40万達成
・多少贅沢しても手元にお金が残る生活
・周りは皆自分の好きな仕事をしてるので、愚痴や不満がこぼれない世界

こんな感じです。

出会う人には、

 

「こないだまで大学生だったのにすごいね!?」

「すぐ独立したのすごい!」

 

と言っていただけるのですが、私は起業家の家系でもなければビジネスの知識ゼロの、
どこにでもいるふつーの女子大生でした。

 

ただ、1つがんばったことと言えば「行動力」を身につけたことだと思ってます。

 

今でこそ「行動力あるね」と言っていただける私ですが、昔からあったかというと、全然そうではありません。

むしろ、昔の私はビビり、人見知り、怖がりでめちゃくちゃ泣き虫な子どもでした。

 

幼稚園時代はほぼ泣いてた記憶しかないし、周りの目を気にして人とちがう行動が取れない学生時代でした。

自分の意見よりも周りの意見を優先していたし、誰かの意見に従った方がラクと思ってました。

ましてやなにかに挑戦した経験や、素晴らしい過去も1つもありません。

超平凡に、サラリーマンの家庭に生まれ、公立の小中学校にすすみ、ふつーに就職する人生になると思ってました。

 

そんな私が、自分の人生を通してどう変わっていったか、お話していこうと思います^^

超絶ビビりで引っ込み思案の泣き虫幼稚園児

1995年某日。みずか少女は誕生します。

「みずか」って本名なの?ってよく聞かれるのですが、バリバリ本名です。笑


そして、私の名前の画数には
「将来自分で稼ぐ力を身に付ける子になってほしい」という親の願いが込められてるんですね。

(実際、姓名判断しても金運のところでは「独立して稼いでいく」という結果が出ます)

 

なので、私が独立の道に進んだのはある種必然なのかもしれません…。笑

 

しかし私は物心ついた時から、ずっと泣いてました。

子どもはよく泣く、というけれど度を超えた泣き虫なのです。

 

知らない人と会うと泣き、友だちに負けて泣き、

男の子が怖くて泣き(何もされてないのに)、ディズニーではミッキーが怖くて入場して3分で帰ったことあります。

 

とにかくビビりで小心者。

幼稚園の頃は自分の意見もまともに言えなくて、

友だちと遊んでて自分のおもちゃを他の子に取られても、「返して」って言えないくらい弱かったです。

 

「返して」って言ったら嫌われると思ったからです。

当時から人にやたら気を遣ってた性格だったと思います。

 

母親と買い物に行っても、自分の欲しいお菓子を素直に「ほしい」と言えなかったり。

100円のお菓子も高く感じて、本当はほしかったけど、数十円の駄菓子でいつも我慢していました。

 

では、なぜこんなにも気を遣う子どもになったかと言うと、4歳のときに弟が生まれたのがキッカケでした。

 

実は、弟が生まれるまではワガママな性格で、欲しいものはなんでも買ってもらってて、家にはおもちゃが溢れかえってました。

 

父も母も本当に優しくて、たくさんいろんなところに連れて行ってもらいました。

 

遊園地や動物園、海、ハイキング、プール、街のイベントなど、

私がいきたい!と駄々をこねたところはどこでも連れて行ってくれる、そんな温かい両親のもとですくすく育っていました。

 

しかし、弟が生まれてから事態は急変します。

 

優しくていつも笑ってた母が怒りっぽくなってしまいました。

それは、うちの弟はかなり手がかかる赤ちゃんだったからです(泣)

 

張り替えたばかりの障子を破く、窓ガラスにリンゴを投げる、

ゲームボーイアドバンスをゴミ箱に捨てる・・・など、野蛮児でした(笑)

 

私の赤ちゃん時代とは対照的な弟の世話に、母はかなり苦労していました。

そしてそれだけではなく、母は幼稚園での人間関係にも疲弊していたのです。

 

俗に言う、ママ友ですね。

ママ友でグループを作って、

「〇〇ちゃんのママムカつくよね」などと言う人がたくさんいるグループに所属していました。

 

そんな荒んだ心のママとの付き合いを続けていた結果、母の心がどんどん蝕まれていってしまったのです。

母は常にイライラするようになり、いつも怒ってました。

 

今でも強烈に覚えている出来事を一つ話しますね。

 

それは、私がご飯を美味しく食べてるだけなのに、突然肩を掴まれて「なんでもっとしっかりできないの!?」と5分置きに怒鳴られたことです。

 

普通に食べてるだけなのに、どうしてこんなに怒られるの?

とただただ頭が真っ白になり、放心状態になりました。

 

あまりにも突然の出来事だったので、自分がどうすればいいかわからず、とにかく急いで食事をして片付けたのを覚えています。

 

その日の夜は、ショックでなかなか眠れませんでした。

それ以来、母に怯えるようになってしまいました。

 

自分の意見も言えないし、これ以上怒らせたくないし、どんどん私は自分の意見を言わなくなります。

 

加えて、「うちは貧乏だから」が母の口癖だったので、なにかをねだるのは悪だと思ってまました。

 

後になって知ったことですが、弟が生まれたすぐ後くらいに父親の借金が発覚したのです。

父親はギャンブルが好きだったのですが、お小遣いだけでは足りず、様々なところからお金を借りていました。

 

それまではいろんなところに遊びに行ったり、欲しいものをなんでも買ってもらってましたが、それが発覚して以来母は財布の紐が固くなります。

 

私が昔のように、「アレ買って」と言っても「高いからだめ!」と言われるようになりました。

そして、「うちはお金がない」「貧乏だから」とよく言っていたので、私も次第にモノをねだらなくなります。

 

そして当時の私は、

貧乏=貧乏神の貧ちゃん

のイメージを持っていました。笑

(こんなキャラクターです!笑)

貧ちゃんとは、当時放送されていた「おじゃる丸」に出てくるキャラクターのことです。

 

青紫色の容姿をしていて、普段からげっそりしています。笑

発言する言葉もネガティブで後ろ向きな言葉が多く、ボロボロの神社に住んでいます。

なので、貧乏=貧ちゃんのようになってしまうというイメージが当時から強く、


「絶対に貧乏にはなりたくないな」
…と子どもながらに思ったのを覚えています。

とにかく貧乏になるのが嫌だったので、私はひたすらお金を貯めるようになりました。

 

もらったお小遣いはすべて貯金したり、幼稚園の頃にはドケチみずかが誕生しました。笑

 

当時のお小遣いなんてお年玉で500円とかそんなもんだけど、絶対に使いたくありませんでした。

大人になるまでずっと貯金しようと決めていたのです。

 

ちなみに母は育児ノイローゼ+人間関係のストレスで、

精神的に崩壊し入院することになってしまいました。

 

母の入院期間は1ヶ月やそこらだったけれど、私にはとてつもなく長く感じました。

この頃から、「私がしっかりして家族を支えなきゃ」という思いが強くなります。

 

そして、誰かに頼ったり、甘えることは迷惑をかける良くないことなんだ、と思い込むようになりました。

お調子者になった小学生時代

私が小学生になった頃には、

弟も成長し、母も幼稚園のママ友問題から解放され、我が家には笑顔がもどってきました^^

 

小学校に上がりクラスも楽しかったことから、私はどんどんお調子者キャラになってきます。

給食の時間には、クラスのみんなを笑わせることに命かけてました(笑)

 

幼稚園の頃はあんなに引っ込み思案だったのに、とんだ変化ですよねw

家庭環境がしめる性格への影響はすさまじいなと今になって強く思います(^_^;)

 

そんな感じで学校は楽しくやってたのですが、父との関係がじわじわ悪化していきます。

 

父は普段滅多に怒らない人なのですが、怒るときはピシャリと怒鳴るタイプの人です。

幼稚園のときに理不尽に怒られた過去があったからこそ、私は怒られ恐怖症になっていたのです。

 

小学校ではお調子者な私でしたが、家庭では常に「いい子でいなきゃ」という意識が働いてました。

父に怒られるのが怖かったので、次第に父との会話は減っていきます。

 

反対に、母はだんだん気持ちが穏やかになっていったので母と話す時間の方が圧倒的に長くなりました。

父親との関係は、中学・高校とさらに悪化していきます。

ハブの対象にされる中学時代。自分自身の変化

中学入学。当時仲よかった子がみんなバスケ部に入るからという理由で安易に私もバスケ部に入部を決めました。

 

しかし、実は私は生粋の運動オンチなのです・・・。笑

 

そんな運動オンチがバスケ部に入るとどうなるかというと、当然試合に悪影響を及ぼすことになります。

 

試合で全然動けないし、ノロいしで、ついにバスケ部のリーダー的女子から目の敵にされ悪口を言われるようになってしまいました。

「一緒に試合出たくないわ〜」と、わざと聞こえるように言われたり、廊下ですれ違っただけで舌打ちされたり。

 

ただでさえ下手なのに仲間からもそんな扱いだったので、部活に行くのが本当に嫌になりました。

 

ふつうだったら、「ここで負けたくない!」って思うのかもしれませんが、私はあっさりその環境から逃げました。←

 

シンプルにバスケ部が楽しくなかったからです。

 

練習にはついていけないし、そもそもバスケが好きだったわけでもないし、

部活行くたびに悪口言われるし。

 

周りには相談せずに、そっと一人で辞めました。

 

が、まさかこの決断がバスケ部女子の逆鱗に触れることになるなんて思いもしませんでした・・・。

 

バスケ部をやめてから、友達に何を話しかけてもフルシカトされるのです。

 

授業でグループワークをしても、私だけ「いない人扱い」されます。

 

発言しても聞こえないフリされたり、そもそも私の意見なんてなかったこととしてワークも進行されるようになってしまいました。

 

次第に私はクラスでもあまり喋らなくなりました。

バスケ部とは関係ない、唯一話せる幼なじみのいたグループがあったので休み時間はその子と過ごしていました。

 

幼稚園の頃から人に気を遣いまくって嫌われるのを極端に恐れてた私ですから、この扱いは本当にキツかったです。

 

グループワークが嫌で仕方なかったので、ワークがある授業のときは仮病を使って保健室で休んだりしてました。

 

月曜日になると「また1週間がはじまるのか」とうなだれながら学校に登校していたし、金曜日が終われば「やっと1週間が終わった」と安堵していたのを覚えています。

 

とにかく学校がいやだったので、消化試合をこなすかのように、学校に通っていました。

できるだけ無心で、淡々と、日々が過ぎ去るのを待ってました。

 

学校があまりにも辛すぎたので、私は、現実逃避するようにネットの世界に没頭し始めました。

 

GREEというSNSが面白すぎて、そこで仲良くなった人とオフ会したり、カラオケ行ったり、わたしにとっては本当に居心地の良い第三の居場所でした。

また、GREEにはブログ機能があったのでそこで自分が普段考えてることや、今日あったことについて書きつづっていました。

当時中1だったので、その頃から文章を書いていたことになりますねw

 

自分の書いた文に

「学校お疲れさま!」とか、

「おはよう〜♪今日も一日がんばろう(*^◯^*)」

 

みたいなコメントがつくのがうれしくて、ほぼ毎日投稿していました。

当時は起承転結すら意識してない支離滅裂な文章ばっか書いてましたが、

「文字を書く楽しさ」というキッカケを与えてくれたのは、紛れもなくGREEだったのです。

 

辛い現実を支えてくれたのは、リアルにはない、ネットの世界でした。
私の心の拠り所となった、大切な「第三の居場所」です。

そこに飛び込む行動力がなければ、わたしは鬱になって、良からぬ行動をとっていたかもしれません・・・。

 

花咲く高校生活。父親との関係悪化

晴れて高校生活!(*´ω`*)

しかし高1のクラスで気が合う人と出会えず、最悪の1年でした。笑

 

ただただ「早く高校生活終わらないかな」と思ってしまうくらい、私にとって嫌なクラスだったんです。

 

しかし、高2になってクラス変えをしたことにより、人間関係がガラッと変わります。

新しいクラスは、「みんなでハッピーに過ごそう!」みたいな色が強いクラスでした。

 

高1の時は、グループ間の派閥がすごく「あのグループの〇〇ちゃんが嫌い」など悪口が蔓延してるクラスだったのに…

高2で仲良くなった子がおしゃれや流行に敏感な子だったので、

その子とつるんでるうちにどんどん私も流行を知っていきます。

 

流行りのメイク、髪型、ファッション・・・

それらは私に自信を与えてくれました。

 

校則をやぶって髪を染めたり、ピアス開けたり、スカートを短くしたり。

 

中学までは先生に注意されるのにビクビクして、ひざ下スカート・白ハイソックス・黒髪おさげしてた自分とは考えられません。笑

 

先生には怒られましたが、当時の私は「最強卍」だったのでちっとも響きませんでした。笑

 

学校帰りにメイク直して、プリクラ撮って、フードコートでサーティーワン食べて・・・

絵にかいたような華の高校生活!!!

 

それまでが地味で冴えない生活だったので、高校時代のそれは私にどんどん自信を与えてくれました。

 

もともと人見知りだった性格が改善され、いろんな人と話せるようになったのです。

他クラスの子と遊んだり、彼氏ができたり、バンドを組んでステージに立ってライブをやったり。

 

臆病でビビりだった私が、自信をつけたことによりどんどん自分から行動できるようになり、人生が彩られていきます。

ただ、高2〜高3は、そんな感じで学校生活では「最強卍」女子高生だったのですが、

 

家庭環境は暗雲が立ちこめられていました。

まず、父親のお給料が減ります。

 

父は塾の先生をしていたのですが、年功序列でお給料が上がっていく会社ではなかったので、そのときの塾生の成績や、営業成果、日頃の実績でお給料が変動する会社でした。

 

父は与えられた仕事はこなしますが、時間外労働はしません。

仕事が終わったらさっさと帰宅。

家ではテレビを見たり、YouTubeでアイドルを鑑賞してたり…。笑

 

その結果、他の先生とどんどん差が開き、お給料は右肩下がり。

私も大学入学を控えてたのと、弟も大学進学を志望してたので当然お金が足りなくなります。

 

母はもともと昼のパートをしてたのですが、時給がいい夜のパートに変え、深夜まで働くようになりました。

母が深夜までせっせと働いてる時間に、父はテレビを見て笑ってる……。

 

どうしようもない嫌悪感を覚えました。「なんで笑ってられるの?」って。

 

もともと私と父は会話の数は少なかったですが、さらに話さなくなります。

それこそ挨拶すらしなくなり、家にいてもお互い空気状態。

 

母も父の働き方に文句を言っていたので、母と父の間でも会話が無くなります。

こうして父はどんどん我が家で孤立していきました。

脱・金魚のフン。近所の本屋がきっかけで「起業」に興味を持ちはじめる

家にお金がなかったので、予備校に通わずに独学で大学受験対策をしました。

片っ端から本を読み、問題を解き、スタディサプリで勉強しまくりました。

 

高3の最後の試験が終わってからは学校に行く意味を感じなくなり、授業サボってマックでずっと勉強、勉強の日々。

 

がむしゃらすぎて全く効率よくありませんが、なんとか大学に合格。

しかし・・・私は、「大学生活を謳歌しよう!」なんて気はさらさらなかったのです。

 

というのも、これまでの中学・高校生活で人間関係に疲れ果ててたからです。

 

そもそも大人数が苦手だったので、「もうグループには属さない」と心に決めていました。

 

就職さえできればいいから、授業は適当にやり過ごそう。

友だちは別にできなくていいやと思ってたので一人で授業を受けてました。

 

…が、奇跡的にめちゃくちゃ気が合う子と同じゼミになり、その子と劇的に仲良くなります!

 

過去の境遇が似ていたり、住んでるところが近かったり、くだらないことで笑いあえるくらい笑いのツボが似ていたり。

 

今まで他人に合わせて笑うことが多かった私にとっては、衝撃の出会いでした。

 

それ以来、その子と授業を受けるようになり、その子と1日のほとんどを過ごすようになります。

そんな様子を見ていた周りの人たちが、だんだんと集まってきます。

 

金魚のフンのような昔の私だったらありえないことです。

高校時代は楽しかったけれど、別に特別人気者だったわけでもないし、正直「いてもいなくてもどっちでもいい人」だったと思います。

 

そんな私の元に、人が集まってくる。

不思議な感覚でした。

 

ただ、一緒にいて楽しい子と、盛り上がってるだけなのに。

人は楽しそうな場所に集まるんだなと気づきました。

 

こうして私はまた自信をどんどん身につけていきます。

オールラウンドサークルに入ったり、そこで副部長になったり、ラウンジのバイトで高時給で稼ぐようになったり。

 

よくいる「ウェイウェイ大学生」だったと思います。笑

髪も金髪とかしてましたからね。

マツエクとネイルもガンガンしていて、超ミニスカ履いて「何時代のギャルですか?」って感じだった。笑

 

しかしそんな見た目になりながらも、根は真面目なみずか少女。

就活の時期には髪もすっかり暗くし、マツエクもやめ、ザ・就活生へと生まれ変わりました。

 

就活はさっさと終わらせたかったので、とにかく数をこなしまくりました。

 

最初は化粧品会社全般に応募して、次に金融。

あとちょこちょこ食品メーカーやブライダル関係など。

ジャンル問わず、いろいろ受けまくりました。笑

 

いろいろ受けまくったのですが、

そんな就活も保険会社のお姉さんとの出会いであっさり終わってしまいました。笑

俗にいう生保レディに勧誘されて、速攻内定をもらって終了笑

 

そんな感じで内定をもらって、就活が終わってからはとにかく暇でした。

あまりにも暇すぎたので、近所の本屋に通いつめることに。

 

この本屋さんが、個人的にかなり優秀で。笑

本屋さんの中に椅子があちこち置いてあって、座り読みOKなのです。

 

立ち読みだと足の限界があるけれど、座り読みなら永遠に読んでいられます。

最初はマンガを読むためにその本屋に通いつめてたのですが、ふとしたときに、とある本のタイトルが目に止まります。

 

「かわいいままで年収1000万円」

 

衝撃が走りましたね。この人は何を言ってるんだ?と(^_^;)

著者は宮本佳実さんという、有名な女性起業家の方なのですが当時の私はその方が有名なことすら知りません。

 

でも、この本が無性に気になる。

手にとって読みはじめました。

そこには、

「週休5日、実働10時間で、年収1000万円を稼ぐ、仕事とお金の法則を大公開!」

「毎朝8時に起きてスムージーを飲んでヨガに行って買い物してるのに稼いじゃってます♡」

 

みたいなことが書かれてました。

 

え、これマジなの???

 

疑うことを知らない私は、あっさりその本を信じ込みます。

そして、

 

「私もこんな人になりたい!」

 

超単純ですが、その本がキッカケで、起業や独立について本格的に興味を持ちはじめました。

 

起業ってそもそもなに?どうしたらできるの?最初に何したらいいんだろう?

 

とにかく情報が足りなかったので、まずは情報収集からはじめました。

宮本佳実さんはアメブロを使ってるとのことで、私もアメブロに登録し宮本佳実さんを読者登録。

 

本を読んだだけでも宮本さんの生活ぶりには驚かされましたが、ブログはさらにすごかったです。

 

ホテルのアフタヌーンティー、リゾート地でMacbook、たくさんの生徒さんに囲まれてキラキラ輝いている写真……

 

そんな世界を全然知らなかったので、まずそのライフスタイルに圧倒されました。

 

しかし、私が見たかったのは宮本さんのキラキラ生活じゃなくて・・・どうやって経験を積んでその地位まで至ったかってこと。

 

でも、宮本さんのブログを見ていても、私ができそうな具体的なノウハウは書いていません。

 

それこそ宮本さんは最初にパーソナルスタイリストの仕事からはじめましたが、ファッションにそこまで興味を持てなかった私は早くも撃沈します。

 

「服は好きだけど、仕事にしたいかって言ったら違うよなぁ…」

 

そこから、延々と自分と向き合う日々でした。

私はなにを仕事にしたい?どんな生活をしたい?理想の人生ってなに?

 

ただキラキラしたいだけだったら、OLでもできます。

休日にホテルのアフタヌーンティーでも、ゴールデンウィークにリゾート地でも行けばいい。

OLの初任給は安いけれど、毎回贅沢しなければ、ある程度の贅沢はまかなえる予定でした。(実家から会社に通うつもりだったので)

 

ただキラキラしたいのか?優雅に生きたいのか?

 

いや、それよりも・・・自分の好きなことを仕事にしたい。

 

私が宮本さんのブログを読みながらも、一番憧れたのは、

自分を慕ってくれる仲間がいて、環境があって、

自分のビジョンを共有しながら同じ目標に走る場所を提供していたからだ。

 

それを仕事にできたら、どれほど幸せだろうか。

私と同じビジョンをもつ仲間と、一緒に走りつづける…。

考えただけでワクワクしました。

 

しかしまだ大学生のみずか少女。

自分のビジョンも、何を仕事にしたいかもどう生きたいかもかなりあやふやです。

ビジョンを固められないまま、ただ時間が刻々と過ぎていきました。

 

***

 

3ヶ月後、起業の夢は諦められずにいたものの、

「いますぐはできない」という結論に至った私は、とりあえず就職することを決意します。

 

まずは就職して、社会人経験を積んで、25歳くらいになったらできたらいいな…。

 

それくらいに、漠然とした思いを持っていた、そんな時です。
私が起業へ向けて走り出すキッカケをもらったのは。

 

そのキッカケをくれたのは、当時付き合っていた彼氏でした。

いつものように夜、彼氏と電話をしていたら他愛もない話から仕事や独立の話になり・・・

 

「俺早く会社やめて独立したいなぁ。今の会社は〇〇が本当に嫌でさ〜」

 

彼は仕事にストレスをかなり抱えていたので、電話では私が彼の愚痴を聞くのが鉄板でした。

 

実は私が「独立したい」という夢を抱えていることは、その時の彼にも言ってません。

でも、なぜかその時にとてつもなく言いたくなり、打ち明けました。

 

「私も、実は独立したいんだよね」

 

と。

当時の彼はどっちかっていうとネガティブに物事を捉え、悲観的な性格でした。

 

自分がうまくいかないのは親のせい、友達のせい、職場のせい・・・。

 

なんでも人のせいにするし、自分のやりたいことをもっともらしい理由をつけて諦めるような人でした。

 

だから私も自分の夢なんて言ったら否定されると思ったし、わざわざ傷つきたくもなかったのでずっと隠すつもりでした。

 

でも、そんな彼が

「いいじゃん!やってみなよ!!」

 

というのです。

 

私は「え?」って感じでした。思ってた反応と違って拍子抜けします。

 

「みずかちゃんなら独立してもうまくいきそう!頑張ってね!応援してる^^」

 

応援・・・!?この人が応援!!?信じられない・・・!!

 

自分の彼なのにディスりまくりで申し訳ないのですが、それくらい私にとっては衝撃でした。

 

私、自分の夢を追っていいの・・・?

 

もしかしたら心のどこかで、私は否定して欲しかったのかもしれません。

 

「独立なんて失敗するのがほとんどだから、真面目に就職しなよ」みたいな。

そこで否定されることで自分も納得できると思いました。

 

でも、まさかの急展開。その日を境に、私の夢に対する想いが再燃します。

やっぱり、自分の夢を諦めたくない!その思いから、片っ端からリサーチをはじめました。

 

女性起業家さんのブログやHPを読み漁り、自分には今何ができるのか、何が必要なのか、少しでも情報のカケラを集めるために読み漁ります。

 

そして、片っ端から連絡します。ブログだけだと、詳しい情報を知ることはできないと思ったからです。

 

ブログのお問い合わせフォーム、LINE@、メールなど…。

文面は忘れましたが、確か「今度実際にお会いしてお話聞かせてください」とか送ってた気がします。

 

返信率はまちまちで、無視される時もあれば、セミナーや講座に案内されることもあります。

しかもそのセミナーが高い。笑

一回4万円とかでしたwww

 

たかーーー。さすがに一回のセミナーでこの金額は今の私には出せない…。

セミナーや講座への参加はしぶしぶ諦めました。

 

しかし私の連絡攻撃は終わりを告げません。毎日誰かしらの連絡フォームには、連絡を入れてました。

(当時送りまくった人たちには多大なる迷惑をかけましたね・・・すみません笑)

そんなある日、うれしい返信が届きます。

 

「ぜひお話しましょう!○月○日はいかがでしょうか?^^」

 

と・・・!!!

私の夢や思い描いている仕事について相談できるなんて、天にも舞い上がる気持ちでした。

友だちにも、家族にも怖くて相談できなかったからです。お話する前日は、ワクワクしてなかなか眠れなかったです。

 

そしてついに当日。

私は自分がなぜ起業したいのかとか、どんな仕事をしたいのかとかをその人にバーーっと打ち明けました。

 

そこで返ってきたのは衝撃の答え。

 

「独立したらまずは売れるものがないと苦しいよ」

 

当たり前のことだけど、当時の私はハッとしました。確かにそうだなと。

さらにその方は続けてこんなことを話してくれました。

 

「資格所得スクールや、いろんな講座はあるけれどそれらに行ったところで自分の商品を持ってないといきなりお金にするのはむずかしい。

私もいろんな講座に行っていろんな勉強したけれど、結局それらの知識を生かしてビジネスには結びつけられなかったんです。

結果、多額のローンだけが残って自己投資貧乏になった。

だから、まずは自分で稼ぐスキルを身につけて、それから資格や講座などにシフトしていった方がいいですよ(^^)」

起業について無知だった私にとって、目からウロコなお話でした。

 

私は起業するにはまず資格やスキルが必要だと思ってたのですが、

それ以前にお金にできるスキルがないと、そもそも1円も稼げないまま終わってしまう。

 

私は、この人について行きたいと思いました。

その方は物販の塾をされていたので、私も物販の世界に魅了されていきます。

 

「物販」っていうと、在庫を抱えて自分で梱包して、発送するのをイメージしてたのですごく大変でむずかしい印象だったのですが、その方が教えているのは「在庫を抱えないやり方」でした。

 

そんなことできるの??ますます興味を惹かれます。

 

ただ、そこで物販のやり方やノウハウを受けるには、30万ほどの入塾料が必要でした。

 

30万・・・

 

4万円のセミナーでさえ高くて断念してた私です。

ましてや本買うお金をケチって本屋で座り読みして本代を浮かせてたくらい、もともとドケチな私にとっては、

30万円はあまりにも大金すぎて、一瞬放心状態になりました。笑

 

とりあえず返事は待ってもらって、考えます。

どうしよう、と。

 

30万なんて大金はすぐに用意できないし、何より高額すぎて今の自分に払える予感はしませんでした。

諦めようかな・・・そう思ったけど、私は過去にお金が足りなくてセミナーや講座を諦めた過去があります。

 

セミナーや講座を諦めた結果、特に自分の中で変化があるわけでもなく、淡々と日常が過ぎ、理想と現実のギャップが埋まらないまま終わる・・・。

 

もう同じことは繰り返したくないと思ったのです。

 

何より、今回の物販に関しては単なる習い事ではなく「実際に商品を売買してお金の取引ができる」ものです。

 

単純に、物販をめちゃくちゃ頑張れば、この料金は回収できると思ったのです。

 

ましてや、物販で稼ぐスキルを身につけてしまえばそのスキルはずっと使えます。

物販塾代を回収した後でも、就職しながらでも、結婚して子どもを産んでも。

そう考えたら、30万円の先行投資はむしろ安いと感じはじめたのです。

 

何よりここで踏み出さなければ私はまた変われずに終わってしまう。

 

それがいやで、入塾を決めました。

残りわずかな銀行残高からお金を下ろし、差額はクレジットでリボ払いにしました。

人生初のリボ。変な汗がつたったのを覚えてますw

そしてお金を払ってしまったからには、やるしかない。

 

もう、まじで死ぬ気でやると心に誓いました。

それからは、大学に通いながらも隙間時間に物販の説明動画を見て、商品リサーチをして、発送を繰り返す。

 

バイトの休憩時間中も、電車で移動してる時も、夜寝る前も。ずーーっと物販やってました。

その結果、初月で5万円の利益が発生し、翌月は10万円近くに。

努力の結果、売上金額がどんどん増えていったのです。

 

この調子でいくと、翌々月からは月20万円を安定的に生み出せると確信していました。

そんな最中、物販塾の講師の方から、「一緒に講師をやらないか」と誘われます。

 

私は、独立を目指してたといえど大学卒業したらふつーに就職するつもりでした。

隙間時間に物販できたらいいかな、みたいな感覚で。笑

 

でも、物販の講師の仕事も魅力的でした。

とにかく熱中していた物販を教える仕事はたのしそうだと思ったし、ネットビジネスで活躍してる方と間近に過ごせるのは、自分にとっても良い影響を与えるのではと考えてました。

 

しかし、物販の講師をするとなったら平日もミーティングをしたり、

土日はセミナーやランチ会をすることになるので、就職と平行してやるのははっきり言ってキツイです。

 

どちらかを選ばなければいけない・・・。

すごく、すごく迷いました。

 

どっちを選ぶにしても、時間がありません。

その話をいただいたのが3月で、私は4月から新卒として入社予定でした。

 

あと1ヶ月もしないうちに決断して、会社を辞退するなら早く辞退の旨を伝えないといけない…。

 

授業中も、バイト中も、寝る前も、ずっと考えてました。

 

物販講師をやりたい。でも、新卒カードを捨てていいのか?

就活の3ヶ月間を無駄にしていいのか?

もし再就職するとしたら、不利に働くのではないか?

 

親にも相談しました。

親は、私の名前に「自分の力で稼いでほしい」という意味を込めるくらいなので、

私が物販講師になることも反対はしませんでした。

 

「みずかが進みたい道を選びな」ってスタンスだったので、本当に感謝です。

 

周りがみんな就職するから・・・まずは3年働いた方がいいっていうから・・・

そんな社会の声を基準にすると、自分の中の「本当の声」が聞こえなくなりました。 

 

本当の自分はどうしたいのか?

それを深く深く追求していった結果、就職を辞退する決意をします。

 

内定辞退の電話をしたときは声が震えて仕方なかったです。

そして電話を切り終わった時、達成感とも後悔ともなんともいえない感情に包まれ、涙が止まりませんでした。

 

でも、この道を選んだのは自分だ。

自分の道に覚悟を持って、この世界でがんばろう。

そこから、私の社会人1年目はスタートしたのです。

キラキラ物販講師→収入0のブロガーに転落

物販講師の仕事は楽しかったです。

毎月ランチ会をしたり、動画を撮ったり、可愛いエアビーを借りて合宿したり。

 

けど、その楽しさとは裏腹に、自分自身の気持ちに変化が訪れます。

「私って、もともと物販をやりたくて独立したんだっけ?」

 

確かに物販が楽しかったのは事実です。

それを教えられる立場になれて、誇りに思ってるのも事実。

 

でも、大学4年の時に思い描いてた「理想の自分」とは、ギャップを感じていたのです。

 

私は、もっともっとビジネスの勉強をしたい。

でも、物販講師というくくりの中にいるだけでは、それ以上の世界を知れずに終わってしまう。

 

それがなんだか歯がゆくなり、物販講師の仕事を辞めることにしました。

 

ほぼ勢いで辞めることになってしまったので、次の目処は一切たってません。

毎月入るお金も、新卒のお給料よりそこそこ稼げてたのに一気に0になりました。

 

さて、ここからどうしよう、と・・・。

 

幸いなことに、その頃からTwitterとブログをはじめて情報発信をがんばってました。

 

今は何もない私だけど、小さな世界でいいから、何かのスペシャリストになりたい。

そう思った私は、Twitterのフォロワーを増やすことにめちゃくちゃ力を入れはじめます。

 

Twitterコンサルを受けたり、Twitterに関するnoteは有料のものだろうと片っ端から読みました。

 

努力の成果あってか、1ヶ月でフォロワー1000人を超え、翌月には2000人まで増えました。

 

フォロワーが増え喜んだのもつかの間、次に何をすればいいかわかりません。←

手段が目的化してしまって、その先が全くできてなかったのです。

 

そこで、「まず私ができることから始めよう」と無料で発信の相談にたくさん乗ってきました。

 

オンラインサロンの中でも乗っていたし、Twitterで知り合った方と直接会ってお話を伺ったこともあります。

 

Twtterをどんな運用目的でやるかは人それぞれですが、単純にフォロワーを増やしたい人から、Twitterからブログ流入を増やしたい人、

自分のコンテンツの売上をあげたい人などいろんな人の相談に乗ってきました。

 

のべ50人以上は相談に乗ってきたと思います。

 

また、自分の成功例が他人にも当てはまるとは限りません。

そこからさらに研究を重ね、フォロワーを増やす人の特徴やフォロワー少なくても売上をあげている人の特徴などを1つ1つ勉強していきました。

 

その結果、フォロワーが増え発信力を武器に仕事を見つけたり、ブログ流入者数が増えたり、自分のコンテンツの売上をあげられる人が増えてきたのです。

 

そして、「次は有料でお願いしたいので相談乗ってください」と言ってくださる方が現れたのです!

 

この変化には私も驚きました。

それから私は、自分のコンテンツを世に出すからには絶対にいいものを作りたいと思い、コンテンツメイキングについてや、マーケティング、セールスなどたくさんたくさん勉強してきました。

 

そして今は自信の経験を生かし、人に伝えるため日々奮闘しています(*^^*)

これからの展望と私が目指す「理想の世界」

独立してからこの1年は、山あり谷ありでいろんなことがあったけれど、

私が今の立ち位置までこれたのは1つ1つ行動していったからだと思ってます。

 

まず、女性起業家さんたちに連絡しなかったら物販のメンターと出会えなかったし。

お金を理由にして一歩踏み出さなかったら今頃ふつうにOLになってただろうし。

思い切って物販講師をやめなかったら、自分の事業を作るなんて結果には至らなかっただろうし。

 

どれもこれも、私が行動してきたからこそ得られた地位だと思ってます。

 

かつては超泣き虫・ビビり・気遣い症・ドケチだった自分が大進化です。

 

でも、いきなり進化したわけではなく、本当に些細なことを小さく小さく積み重ねていっただけなのです。

 

人生の節目節目で出会う人や、携わった環境が与える影響は大きいです。

「人は環境の生きもの」と言われるくらい、周囲の影響をダイレクトに受けるのです。

 

もし普通にOLになってたら周りのOL思考に染まり、

とっくに起業を志してた夢なんてなくなってたかもしれません。

 

そして、私がこの道を選んだのは、やっぱり「理想の世界」があるからです。

 

大学時代から描いていたものですが、

私はやっぱり「好きな人」との時間を大切にしたい。

 

うちは、お金がなかったから

母は私が小さい頃からパートに行っていたし

高校生の頃には深夜まで仕事をしていたし

両親の仲は険悪だったし

私自身父を恨んでいました。

 

そんな思いを自分の子どもにはさせたくないし、私は家で笑ってるお母さんでいたい。

 

また、これは最近になって知ったことなんですが、私の父は病気でした。

お給料がどんどん下がっていき、私と母はずっと「父はやる気がない」といたのですが、違ったのです。

 

父は、字が書けなくなっていました。

ペンを握っても、ふつうの大きさの文字が書けません。

書類に名前を書くときも、すごーーーーく小さな文字で名前を書くのです。

そんな小さな文字だと、黒板に書いても読めません。

 

また、滑舌もどんどん悪くなり、何を言ってるのかわからなくなってきました。

「最近モゴモゴ喋るなぁ」と思ってたら、舌が回らないらしいのです。

これでは、教壇に立って授業を教えることができません。そして、舌が回らなくなるのも、病気が影響してるそうなのです。

 

父は、この数年ずっと事務作業しかやらされてなかったみたいです。

教えることが好きだった父にとってこの立場は、辛く、心にくるものでした。

 

そして、転びやすくなります。

歩きながら転び、壁に激突し、

膝が曲がりくくなったので電車で椅子にも座れません。

1時間以上ずっと立って通勤してます。

メガネは何回割ったかわかりません。

 

病院で診察してもらっても、原因がわからないので、適合した薬も治療ももらえません。

脳の病気らしいのですが、きちんとした病名はわからないままです。お医者様からは、「治すことは難しい」と言われました。

 

このままだと、1年以内には寝たきりになるでしょう。

 

・・・私はその事実を知ったとき、たくさんたくさん泣きました。

 

まさか、自分の父が・・・・・。

「治らない病気」を知らされることほど、絶望に打ちひしがれることはありません。

 

そして、失った父との時間をひどく後悔しました。

自分は何をしてきたんだろう、どうして父のことを避けてしまっていたんだろう、と。

本当に、涙が止まりませんでした。

 

たくさんたくさん悔やみ、

たくさんたくさん涙を流しましたが

悔やんでも時間は戻りません。

だから、私はこれからの家族との時間を大切にします。

 

父は旅行が好きですが、あと何回行けるかわかりません。

そして私たち家族も、「今年が最後の旅行になるだろう」と常に思っています。

 

死を意識すると、1日、1秒がすごく意味のあるものに感じます。

私の1日、1秒は今の家族と、未来の家族のために捧げたい。

それが私の理想の世界です。

 

家族とちゃんと過ごせる時間を作る。

 

そのために私はこれからも行動力高く、たくさん挑戦していきます。

自分を変えられるのは自分の行動だけだと身を持って体感してるので、あとはやるだけ。

よかったら、同じ世界を目指してみませんか?

同じ志を持った仲間が増えることほど、うれしいことはありません。

 

それでは長くなりましたが、私の自己紹介はこれで終わりたいと思います。

感想のコメント、ツイート大歓迎です^^

全て読ませていただきます。

 

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

 

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